1954-11-11 第19回国会 参議院 大蔵委員会 閉会後第7号
それから外国店舗がその当時ロンドン、ニユーヨーク、カラチ、ボンベイ、カルカツタ、香港、この六支店とそれからアメリカのカリフオルニアに加州東京銀行という子銀行を拵えております。そこにサンフランシスコ、ロスアンゼルスと二店舗、合計外国店舗が八店舗であります。
それから外国店舗がその当時ロンドン、ニユーヨーク、カラチ、ボンベイ、カルカツタ、香港、この六支店とそれからアメリカのカリフオルニアに加州東京銀行という子銀行を拵えております。そこにサンフランシスコ、ロスアンゼルスと二店舗、合計外国店舗が八店舗であります。
インドにつきましては、御承知のごとく、カルカツタから、数時間汽車で行つたところにオリツサの大鉱床がございまして、殆んど鉱山というよりも土瀝採取という工合にして取つておるわけでございますが、これは資源としては殆んど無限に近いわけでございますが、欠点は輸送と港湾のネツクがございまして、これで非常に制約されておる。
○国務大臣(小笠原三九郎君) 中共貿易は暫らく変りなく、現状通りだと見まして、先に考えられるのは、例えば香港とか仏印とか、或いはタイ或いはシンガポール、更にインドネシア、向うへ行つてボンベイとか、カルカツタ、カラチというものが考えられる。こちらへ来てフイリツピン、マニラが考えられる。
又インドのやはりカルカツタでございますが、ここでランプをやりたい。これは皆輸入禁止品です。そういうのはやはり技術指導いたしまして、こつちから原料を送り、技術を提供してロイヤリテイーをもらう。いつまでも欧米にならつておるばかりでは能がありませんから、我々も又先生になり得るときもある。私どものほうは、輸入禁止品のほうはそういうことで対抗いたしております。
少くとも対外的な面において、同じ例えばカルカツタならカルカツタに積みに行くという場合において、三杯の船が漫然と向うにある荷物の量も考えずに出かけて行つて、そうして船腹の三分の一くらいで帰つて来るというような不合理なことが行われておるので、その点についてそれは対外的な外国船会社との関係もあるでしようけれども、少くとも国内の船会社だけは或る程度の共同歩調というものはとらせるべきだし、うまくやればやれると
で、一番安く買う方法としては、これはまあカラチか、或いはカルカツタ、殊にカルカツタで買えば、これは麻袋というものは相当安いのです。これだけの金額に見積るということになれば、若し食糧庁が米をできるだけ安く国民のために輸入しようということになれば、これほどの数量、これほどの金額に達するものであれば、やはり食糧庁として、もつと安いところから購入して、そこに持つて行く。
そういう意味で昨日も申しておきましたが、インドのカルカツタでパール博士に会いまして、それでいろいろ二時間ばかり相談或いは意見を聞きまして、この判決、或いは裁判の制度そのものが後日必ず批判の的になる時期が来る。これについては今日からこの在京法曹、或いは在野法曹におきまして、その態度というものをきちんと定めておく必要があると思います。
○中山福藏君 私は実は昨年九月にインドのカルカツタに参りまして、パル判事に面会して親しく戦犯問題に対する彼の意見を聞いたのであります。
○小林政夫君 私は九月十五日夜羽田を出発いたしまして、インドのカルカツタ、マドラス、ボンベイ、デリー、パキスタンのカラチ、セイロンのコロンボ、ビルマのラングーン、タイのバンコツク、香港、タイペイ、それぞれの地を視察しまして、十月の六日夜羽田に帰つて参りました。タイ、香港、台湾については池田班と重複をいたしますので、多少の見解の相違はございますが、省略をさせて頂きます。
私はインドに行きましたときにカルカツタにおいてパール博士から非常な激励を受けたこともあるのでありますが、あの人が日本を今度離るるに際して私たちにこういう警告をなしているのであります。武装弾薬を以て戦う武力戦の最大な犠牲者は日本である。最も勇敢な最もいい軍隊、武器を持つて戦つたが遂に自分を護り得なかつた、その日本が同じ方法で安全保障を求むることは愚かなことである。
○戸叶武君 先般東南アジアを旅行しましたときに、東京裁判に出られたパール博士がカルカツタの飛行場に見送りに来て下さつたときにも私の手を握つて頻りに訴えたのは、日本の国が戦争に敗れたりとはいえども領土問題に対する主張は極めて無性格である。
たまたま私今年の一月、カルカツタで日本あてに絵はがきで数十通通信をしたわけなんです。
○林公述人 大体ただいまのところは、マレー半島から百万トンないし百二十万トン、インドはカルカツタ、ゴア等合せますと約百万トン、フイリピンから約百万トン、その他で四百万トンほど持つて来ております。アメリカからは大して鉱石は入つて来ておりません。
それはカルカツタの例を申し上げますならば、カルカツタに行つております日本の商社、実績のある商社を指定しまして、その商社とカルカツタの現地の商社との間の契約を、石炭を買う場合に結んだのにもかかわらず、日本の方から直接にある業者を指定して、そして現地の商社とまた個人的に契約を結ばせたというようなことがあつたために、カルカツタの政府の石炭局長なども非常に困つたという話を聞いて来たのですけれども、こういうような
次に答申のうちに国際航空路と、国内航空路の拡充策について見えておりますが、昭和二十七年度においては国際航空路として東京――釜山間、東京――沖繩――台北間、東京――台北――香港――バンコック――ラングーン――カルカツタ――カラチ、東京――ホノルル――サンフランシスコ、この四つが答申書にも見えておりますが、これについては二十七年度内において、一線でも実現せられる計画がありや、またその力があるか、これについてまず
日本の国力、或いは国際情勢、日本との経済的、政治的な関係の深さというような点から考えまして、三カ年計画ぐらいの間においてどの程度の国際線を整備するかということで検討されて答申になりましたのがごの答申の三ページに出ておるのでございますが、これは二十七年度、今年度でございますが、東京―釜山、東京―沖縄―台北、―東京―台北―香港―バンコック―ラングーン―カルカツタ―カラチ、東京―ホノルル―サンフランシスコ
国際線につきましては、昭和二十七年度すなわち本年度に、東京—釜山、東京—沖縄—台北、東京—台北—香港—バンコツク—ラングーン—カルカツタ—カラチ、東京—ホノルル—サンフランシスコ、こういう線を開きたいという希望を持つておるわけでございますが、これは御承知のように相手のあることでございまして、朝鮮との間におきましてはまだ話合いがついておりませんので、相互乗入れということに参らないと思います。
もつとも鉄鉱石はパーセントが大事でありまして、ズングンの方は約五五%くらい、カルカツタの方は六三%くらいのものになつておるようでありますが、アメリカから来ている——主としてユタの鉱石だと思いますが、ユタの鉱石のF ○Bは十ドル五セント、船賃が十四ドル、合計して二十四ドル五セント、これが五八%くらいの鉱石である。
それから第二十七回の総会が昨年の十二月インドのニューデリーとカルカツタで開かれまして、これには私とそれから増山という数理統計の専門家と、それからニューデリーの在外事務所の人が一人と三人出席いたしました。
○大江政府委員 総領事館につきましてはニユーヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、ホノルル、サンパウロ、香港、シンガポール、カルカツタ、ボンベイ、ジユネーヴ、これが総領事館であります。